追記

正論・異論

田原総一郎さんが公式サイトに「僕が知っている西部邁さんのこと」を書いている。
人となりが伝わるコメントです。その中に
「しかし、2014年に奥さんを亡くされてからは、ずっと落ち込んでいたようだ。脳梗塞とガンを患い、体調が悪いとこぼしていた。「死ぬときは自殺する。自分でケリをつけたい」ともおっしゃっていた。」
とありました。痛みや不快感、思い通りに動けないいらいらがあったのでしょうか、先立たれた奥様のこともあったのでしょうか。


物事や時勢を批評してきたまっすぐな物差をあてると、正視できない自分がいたのでしょうか。痛みや寂しさを断ったのか、基準に満たない自身を許せなかったのか。
生身と愛に係る人間的な感情だったのか、正しさに対し義務的に殉じたのかは判りません。
ご冥福をお祈り致します。


ウィキペディアから、
仏教では苦とは「思い通りにならない」意味としている。
四苦八苦(しくはっく)とは、
根本的な苦を生・老・病・死の四苦とし
生…生きていること自体肉体的精神的苦痛が伴う。
老…老いていくこと。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる。
病…様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる。
死…死ぬことへの恐怖、その先の不安。

根本的な四つの苦に加え、
愛別離苦(あいべつりく) – 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく) – 怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく) – 求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) – 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
の四つの苦を合わせて八苦と呼ぶ。

西部さんには、苦とされることの多くが一気に押し寄せた感があります。
八苦の事柄の裏返しが、大きければ大きいほど八苦は強く、深く感じるでしょう。
裏返しのイメージは
生きていることが楽しい。
若く、気力体力とも他よりも優れている。
全くの健康体。
死を意識する暇も無く、楽しい。

愛する人が直ぐ傍にいる。
信頼され、慕われている。
欲しいものは何でも手に入る。
思うがままに活動し、周囲の評価が高い。

これらの幸せは際限なく求められ続けられ、残念ながら最晩年までここまでで良いは有りません。
また、得られたものが大きいほど、失った時の悲しみは深いでしょう。
でも産まれ出された時、自分は身ひとつ、育つ間に愛や羨望(憎しみの裏返し)や様々なものを得ての今。最後は身一つで帰る(何処へだかわからないけど)のが決まりになっています。

もうひとつ引用:さようなら
『日本のこころの教育』(境野勝悟著、致知出版社)
昔は太陽のことを「今日様」とよんでいた。「こんにちは」と言うあいさつは、「やあ、太陽さん」という呼びかけだった。「元気ですか?」とは、元の気という意味で太陽のエネルギーをさす。「こんにちは、元気ですか?」とは、「今日も太陽さんと一緒に明るく元気に生きていますか?」という確認の挨拶なのである。

そして、これを受けて、「はい、元気です」「はい、太陽さんと一緒に元気に生きていますよ」と応答する。

そしてその返事として、「さようならば、ごきげんよう」。つまり、「そうですか、太陽さんと一緒に生活しているならばご気分がよろしいでしょう」ということだ。
                               以上引用
今日様は何時も見てくれてます。
さようなら、ごきげんよう

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