栄枯盛衰

正論・異論

エレクトロニクス業界の大企業の栄枯盛衰として、IBMがIntelに敗れ、SonyはAppleに敗れたとした話が有った。
何かに書かれていたことをとり上げたのかもしれないが、私なりに異論がある。
 IBMはATAのフォーマットを発明し公開した、今現在もPCの基本プラットフォームになっている、様々な規格を提供するフォーマットリーダーであった。
インテルはPCを作るIBM向けに最適な構成のMPUを設計した半導体屋である。IBMは計算やストレージを提供するサービス業にビジネスをシフト、インテルは一途に高速処理半導体の開発に励むハード屋である。
 Sonyはよろず電機屋であり、Appleはパソコンと携帯、音楽プレヤーに特化しコンテンツ販売も手掛けている。パソコン以外は、いずれもSonyが先に手掛けた製品であるが、コンテンツ自体を販売しているSonyがケチったので音楽配信の基本プラットフォームはAppleに負けた。
色んな製品を作るSonyは他の大部分はサムスンに負け、Appleは一途に今でもパソコンと携帯を作っているのである。
Sonyは音楽に関わるウォークマン、CDフォーマット、映像に関わるカメラ、イメージセンサーそしてゲーム機といろんなモノを好き勝手に作り、面白そうなモノをうまくプロデュースして市場を作ってきた。新ジャンルの製品、ユーザーにとって欲しかったナニカを目の前に示せた会社であった。
こんな会社が一時の儲け頭のトリニトロンTVに固執し、今あるものの見直しで付加価値を上げた量で人を評価するようになり衰退した。
量はナニカを示した結果であり、量からナニカが生まれるわけではない。
ポケットラジオ、ウォークマン、TVをプロデュースした森田、CD、小型ビデオカメラプロデュースした大賀、アナログ画像を愛しながらもゲーム機を発明した久夛良木などの世の中に無いモノをプロデュースする人材が出なくなったのである。
Appleも強引、剛腕のプロデューサー、ジョブスが無きあとはモノづくりの会社に変わっていくのではないか。

会社の規模や儲ける力が変わるのは、会社にとって適当なビジネスモデルとビジョン、戦いの場と時を選んだからである。
考え抜かれたビジョンに沿って戦いの場と時を見極めるのが経営者の役割である。そこで勝負するナニカを取り上げる名プロデューサーを見極め任命するのも経営者の大きな役割である。

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